尾関山駅 |
島式ホーム一面一線(島式ホーム一面二線に対応した形態)
の地上駅(無人駅)
駅舎はありますがホームに待合室などはありません。
1955年(昭和30年) 3月31日 三江南線
(当時)が三次駅ー式敷駅間(14.7KM)で
開業した際に設置開業しました。
1975年(昭和50年) 8月31日 三次駅ー
江津駅間(108.1KM)が全通し三江南線が
三江線の一部と成ります。
1987年(昭和62年) 4月1日 国鉄分割民営化
によりJR西日本の駅となります。
尾関山とその周辺:
JR三江線の尾関山駅を北方向へ目を向けると
線路の先にトンネルが見えますこれが尾関山
(尾関山全体が公園で春には県北の桜の名所で有名)
公園です。
この地は近世に三吉氏の拠点でしたが江戸時代初期、
安芸の国(広島)を福島正則が治めるようになり、
その重臣尾関正勝が三次に入城してから尾関山と
呼ばれる様になったようです。
のちに、福島正則(元和5年(1619年)改易)
に代わり浅野長政が治めるようになります、
浅野長政の次男浅野長晟(ながあきら)
(安芸広島藩42万石初代藩主)の長男・
浅野長治(ながはる)が備後三次藩初代藩主として
1632年に入封するとこの尾関山を拠点として
下屋敷が整備され山頂(標高202M)に天文台
(天体観測所)が置かれたりしました・・・
また、長治の娘に元禄赤穂事件(忠臣蔵)で有名な
播州播磨赤穂藩主浅野長矩(浅野内匠頭)の
正室阿久里(阿久利)さんが延宝3年(1675年)
1月19日数え年で46歳で亡くなりますが、
公園の前の道路の向かい側にある鳳源寺
(ほうげんじ)が菩提寺です。
また、赤穂義士大石内蔵助(元家老 大石良雄)が
菩提寺を訪れた際に植えたと伝えられている
手植えの桜の木もあります。